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蕃昌飛行場跡地(未完成、現:野田市七光台)

かつて、千葉県東葛飾郡の七福村の、蕃昌っ原と呼ばれていた松林に

飛行場が建設されていました・・・・(・∀・;ノ)ノ

資料が殆ど存在せず、陸軍用なのか海軍用なのか、はたまた逓信省用(乗員養成所用)なのか?

また、飛行場の大きさ等も不明で、かろうじて米軍がターゲットらしき場所としていた記録と、
(米軍名:NODA、種類:LG、座標:35.59N、139.51E、(Dec.44))

アーカイブ写真に伐採痕が写っているだけなのです。




郷土史を読んでみますと、近辺の方々は田中飛行場(柏飛行場)等に、

勤労奉仕に行っていた記録(郷土史の記載)があるものの、

この、昭和19年12月には、ほぼ形が見え米軍にLGとして認識されていたであろう、

蕃昌飛行場に関する事は市史に書かれていませんでした・・・・ヽ(;´Д`)ノ
(そりゃぁ、七福村時代の事ですから~) 

あきらめて、もう帰るかと思ったその矢先!

一冊の本が、おじさんを呼んでいる事に気が付きました・・・・(・ω・;)ナンカヨウカ?

[壁]ω-)ジー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「くりかえすまい」

(;^ω^)何か苦手だなぁ・・・こういったタイトルの本て。

ってな訳で、ビミョーな気持ちになりつつも、

頁をめくってみたところ、ようやく記載を発見です♪♪


終戦40周年記念・野田地方終戦前後記「くりかえすまい」
(野田地方文化団体協議会、昭和60年8月15日発行)

野田の戦争遺跡
P81 (七)蕃昌飛行場の跡

 本土決戦に備えて敵の予想上陸地点(九十九里海岸及び相模灘海岸)に近い内陸に多数の急設飛行場を作り、温存した戦闘機の特攻攻撃を以て、敵艦船を水際に於て叩く構想であった。
 蕃昌は「蕃昌っ原」といわれた位平坦な松林であり、此所に飛行場を作るべく工事が始められたが、殆ど人力による外ない為、伐採、樹根の除去、整地に手間取って、未完成のまま終戦になった。この時切り開いた跡が、現在の蕃昌の工業団地になっている。戦後もと七福村の七をとって七光台と呼んでいる。

P151 (年表の昭和18年の欄)
この年、現七光台地区に飛行場建設工事始まる



一番驚いたのは、建設開始が昭和18年であるという点です! エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

率直に、「普通、完成してるっしょ。1年もあれば。」 と思いました・・・・・・(・ω・;)

以下は、図書館にあった郷土史を読んでみた結果からの、おじさんの「勝手な妄想」なのですが・・・・

不思議に思うのは、軍用ならば総動員してでも1年程度で完成させたはずではないかと思える事で、

また、松戸高等航空機乗員養成所が昭和19年の冬に陸軍に接収されている事も、

蕃昌が未完成であった為ではなかろうかと思えてしまうのです。

もしも蕃昌が、陸軍の飛行場として計画されたのであらば・・・・・

柏への勤労奉仕よりも蕃昌への勤労奉仕が優先させられるはずなのではないかと。

逆に、蕃昌には行かずに柏へ勤労奉仕に行っていた事から、

蕃昌が、逓信省の飛行場として計画され、接収を打診されていたと思われる、

松戸高等の代替地となる予定だったのではなかろうかと。 

まぁ、真相は謎のままですけどね・・・・



アーカイブ写真 (中央やや右に格納庫っぽい建物も見えます。)
(出典:国土地理院ウェブサイト USA-M44-A-5VT-21 1946年02月13日)



グーグルアースに書き写すとこんな感じになりました。



現在はショッピングモール街や工業団地、住宅地になっています。

①地点 (ショッピングモール街)





因みに、客の入りは良いようです・・・・・(;^ω^)

②地点 (目の前が、当時格納庫らしき建物が建っていた位置です。)



振り返って南方向・・・・・



③地点 (小学校の裏から西北西方向)





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Author:再生おじさん
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